2019-03-26

《想い・・・》「目の前で喧嘩が始まった!」

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《想い・・・》

「目の前で喧嘩が始まった!」

 

私は電車に乗って座席に座っていた。

 

電車の中はぎゅうぎゅうづめと迄は行かず、ぱらぱらと立っている程度。

 

なので、私の向かい側の座席の様子も見る事が出来た。

 

 

事件が起きたのは、ある駅に電車が止まり乗客が入れ替わるタイミングだった。

 

私の前の席には2人は座れるだろうスペースに一人の中年男性が座っていたのだったが、

 

そこに乗車して来た男性が、その2人分のスペースに1人座ってる男性の横に座ったのだ。

 

当然狭いスペースに男性が座って来たのだから、座った男性は窮屈な筈だ。

 

 

その時、その座った男性が、今まで座っていた男性に対し、

 

「チッ!」

 

と舌打ちをし、明らかに攻撃的な言い方で、

 

「詰めろよ!」

 

と言ったのだ!

 

私は「あぁ~あ、言っちゃった!」と思っていた。

 

 

それに黙っていたのは今まで座っていた男性が、

 

こともあろうに、今座った男性に対して、若干体を持ち上げ斜め上から座ったまま押し返したのだ!

 

 

もうこうなったら止められない。

 

押された男性は、

 

「何すんねん!」

 

と声を荒げ、

 

「言われた男性は、なんやねん、今の言い草は!」

 

と言い返した後は、口喧嘩が始まった!

 

 

こうなってくると周りの事なんか気にしていない!

 

声のトーンが上がって行き、周りは止めるでもなく、自分に火の粉がかからない様に知らない顔をしている。

 

 

2人は更にトーンが上がり、ついには間も無く止まる駅に近付くと、

 

「次で、降りろ!」

 

「なんで、降りなあかんねん!

俺の降りる駅ちゃうねん!」

 

「関係ない!

降りろったらおりんかい!」

 

と言い合いになり、結局は2人ともその駅で降りた。

 

実は、その駅は私の降りる駅でもあったので。。。

 

私は降りてすぐ、駅員に「喧嘩してるよ!」と伝えて私はその場を立ち去った。

 

 

正直、どうでも良い喧嘩。

 

 

まず乗車して来た男性。

 

確かに狭かったのだろう。

 

でも、「舌打ち」する必要はないし、

 

そこに「詰めろや!」と言われたら、言われた方はカチンと来るのも分かる。

 

 

また言われた側の男性が言った反論も分かる。

 

「ちょっと詰めて下さいと言えば良いだけやろ!」

 

確かにその通りだが、押し返すと言うのも大人気ない!

 

 

何気に見た感じ、その押し返した男性は感情的に押し返しただけで、その後の事は考えていなかったのだろう。

 

振り上げた拳を何処に落として良いか分からないように私には見えた。

 

 

正直、どっちもどっちかな…

 

何故、お互い譲れなかったのだろうか?

 

 

座って来た男性は、

 

「すみません、ちょっと詰めてくれませんか?」

 

と言えば良かっただけだろう。

 

 

逆に、座っていた男性も押し返すなんて暴挙に出ず、

 

「あっ、すみません。」

 

と詰めれば良かっただけ。

 

 

お互いが、ちょっと譲れば喧嘩にもならなかった筈。

 

 

電車の中なんて特にそうだけど、なんか殺伐としてるんだよね?

 

特に満員電車なんて一色触発のようにも感じる。

 

 

昔の言葉に、

 

『貧すれば鈍す』

 

と言う言葉がある。

 

意味は、

 

「貧しいと、生活苦に煩わされることが多くなり、才気や高潔さが失われてしまうものである。」

 

とある。

 

まさに、その喧嘩なんてそうではないだろうか?

 

人は心に余裕がなくなって来るとイライラしがち。

 

「貧しい」

 

と言うと「お金」を思い浮かべるが、お金ばかりではない「時間」もそう。

 

例えば満員電車。

 

絶対に満員電車に乗らないと行けないのだろうか?

 

満員電車を避ける事は出来ないのか?

 

乗る時間を変える。

 

「遅くする」が出来ないのであれば早くする。

 

始発に乗って行けば満員ではない筈。

 

いっそ電車に乗らない。

 

会社の近くに住む。

 

又は近くであれば自転車で行けば?

 

いっそ仕事を変えては?

 

 

私がインストラクターになった理由の一つはまさにこれ。

 

毎日、スーツを着て満員電車に乗り、それが今後数十年続く可能性を考えた時、

 

嫌気がさした。

 

 

インストラクターになって楽になったが、それでも自由とは程遠く感じた。

 

生活を安定させるにはレッスン数を増やさなければならない。

 

レッスン数を増やすと、毎回のコリオを考えたり、移動時間等に時間を奪われ・・・

 

私は最大、25本/週のレッスンをしていた時がある。

 

お金には余裕があったが、毎日3本、4本のレッスンをこなし、

 

身体を使ってるから充実感はあったが、帰ったらグッタリだった。

 

更に最新の情報を入手する必要があると「研修」を受けに行く。

 

が!

 

レッスン本数をこなしてると、研修を受けに行く時間もなく、

 

仕方なく「代行」を立てようと代わりの人を探したら時々嫌な顔をされる・・・。

 

 

正直感じる時がある。

 

これって自由なんだろうか?

 

 

サラリーマン時代に比べれば好きな事をやってる分、自由な生活をしているように思っていた。

 

でも、結局は時間に縛られていて結局自由ではない。

 

人は自由を失い、心が貧すればイライラする事が多くなる。

 

 

今、世の中は「働き方改革」と言うのが叫ばれています。

 

今、インストラクターも働き方改革をする時期に来ているのかも知れません。

 

お金も時間も手に出来る働き方。

 

決して「楽して稼げ!」なんて言いません!(^O^)

 

でも、そうする為には「身体を使う」だけではなく「頭を使う」働き方をそろそろ考えませんか♪

2019-03-26 | Posted in 想いNo Comments »